エッセイ「ギュッ!な物語」

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ギュッ!な物語 Hugしたくなったその瞬間

Story. 001 文豪のラブレターに、ギュッ。

「僕は 文ちやんが好きです。それだけでよければ 来てください」  「ボクはすべて幸福な時に、一番不幸な事を考へます。さうして万一不幸になつた時の心の訓練をやつて見ます。その一つは文ちやんがボクの所へ来なくなる事ですよ。(そんな事があったらと思ふだけです。理由もなく。)それから、伯母が死ぬ事です。この二つに出会っても、ボクが取り乱したくないと思ふのですね。が、これが一番むずかしいさうです。もしも両方いっしょに来たら、やり切れそさうもありません。もう遅いから(午前一時)、やめます。文ちやんはもうねてゐるでせう。ねてゐるのが見えるやうな気がします。もしもそこにボクがゐたら、いい夢うを見るおまじなひに、そうつと瞼の上を撫でてあげます」

 これはある有名作家のラブレターです。さて、だれが書いたものでしょうか。ヒントは『蜘蛛の・・・』『羅生・・・』『河・・・』。


そうです、『蜘蛛の糸』『羅生門』『河童』を書いた芥川龍之介です。彼が後の妻となった塚本文に宛てたラブレターなのです。

 芥川龍之介は、作家には珍しく本名も同じ芥川龍之介です(初期のころは他のペンネームもたくさん使っていました)。鋭利なナイフで削ぎ落としたような短い文章をいっぱい書き残した芥川が、こんな甘いラブレターを書いていたんです。意外ですね。そういえば、芥川は恋愛小説をほとんど何も書いていないのではないでしょうか?それほど記憶に残っていません。芥川はもっとクール眼差しで人間の奥底に潜むいかんともしがたい「塊」を捉えていたのです。彼は漱石の門弟でしたから、自分も漱石に倣って恋愛ものを書いてみたいな〜と思っていたのかもしれませんね。それが、文へのラブレターになった。十分考えられることです。

 芥川は大変な読書家でした。片時も本をはなしませんでした。東京から京都へ向かう電車の中で、洋書を四、五冊読み終えてしまったというエピソードもあります。

 そんな文学青年が紡ぎ出した殺し文句はこんなふうでした。
「苦しい時には二人で一しよに苦しみませう。その代わりたのしい時は二人で一しよに楽しみませう」。

 そうして、うつむいている文を芥川は、ぎゅっと抱きしめたのでした。


参考文献:『芥川龍之介全集』(岩波書店)

平野雅彦プロフィール

図書館や博物館の立ち上げ、ブックアートギャラリーの企画・運営、出版、企業のキャンペーンやキャラクターデザイン、ブランディングなどの企画に参画。講座・講演、各種審査員多数。テレビやラジオのコメンテーター、本の紹介番組などにレギュラー出演。日本新聞協会賞、ACC賞など広告賞多数。国立大学法人静岡大学人文学部非常勤講師。

http://www.hirano-
masahiko.com/

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